スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

連載小説「相模川恋唄」26−30

相模川恋唄 26−30

「こんばんは。」

ヒロカズは笑顔だった。
ああ、やっぱりヒロカズの笑顔は安心するな。
昼からじわじわと悲しかった和子の心がすっと楽になり、負けじと笑顔になった。
「リクエスト通り、明太子料理たくさん作ったよ。」
「ほんと?やったー」
ヒロカズはいつもそうしているように、和子をそっと抱きしめて頭を撫でた。
「かずちゃん。」
「何?」
和子もヒロカズの体に手を回し、二人はしっかりと抱き合った。
「なんか辛いことあった?」
「え、なんで?」
「なんか悲しそうな顔してた。」
和子の胸がきゅっと痛くなった。ヒロカズには伝わっちゃったのかな。
「なんもないよ。大丈夫。」
和子はヒロカズを見上げた。
「よかった。」
ヒロカズの顔が近づいてくる。いつものキスだ。和子は目を閉じた。ヒロカズの柔らかい唇が、右頬に、左頬に、最後は唇に。
いつものように丁寧で優しかった。

「ねえ、ヒロ君」
「何?」
「もう一度してください。」
和子が言うとヒロカズは吹き出した。
「なんで敬語なの」
「わかんない。」
和子はそう言うと、再び目を閉じた。
ヒロカズの唇が、和子のそれに重なる。ヒロカズは小刻みにキスを繰り返し、だんだん長く、だんだん吸い付き、和子もそれに応じる。二人の舌が徐々に絡み合い、優しく溶け合う。
いつもの儀式なのに、今日の和子にとってはどこか特別なものに思えた。

どうしてヒロカズじゃないんだろう。こんなに近くにいるのに。
どうして、長谷川さんが好きなんだろう。

長い長いキスの間、少しだけそんなことが頭に浮かんだ。

二人は食事をしながら古い映画のDVDを見て酒を飲み、深夜まで話し込んでから一緒に風呂に入り、そしていつものようにセックスをした。
どうしてか今夜は二人の波長が合っており、浴槽の中からその行為は始まった。そしてあまり休むことなく三回のセックスが続いた。
どこかで和子はそれを求めていた。没頭している間は、昼の出来事を、長谷川への思いを忘れていられる。
ヒロカズもどこかでその和子の気持ちを汲み取っていたのだろうか。いつもより丁寧な部分はより丁寧に、少しだけ乱暴にして欲しい部分は乱暴にしており、、和子の臨んだ通りのセックスだった。お互い言葉に出さなくても気持ちと行為と快感とが噛み合っていた。

明け方、ヒロカズは眠る時、後ろから和子をそっと抱きしめてくれた。それは、和子の一番安心する姿勢だった。
さすがに三回続いた疲れからか、すぐにヒロカズの寝息が聞こえてきた。

和子は、眠れなかった。ヒロカズが眠り、ひとり、思い悩んでいた。
どうして、ヒロカズじゃないんだろう。
どうして長谷川さんを好きになってしまったんだろう。
決して叶うことのない片思い。好きになってはいけない。思いを押し殺して生きていかなくてはいけない。
相模川の向こうに、長谷川さんの家庭がある。
越えることなんて、できやしない。
あんなに大きくて優しい手をしているのに。
長谷川のそれが和子のものになることは、永遠にないのだ。
私は誰のものにもなれない。
和子の目から涙が溢れてきた。
悲しかった。悲しくて淋しかった。

和子は声を出さず静かに泣いていた。なかなか涙が止まらない。
と、その時、突然ヒロカズの手が和子の頭を撫で始めた。

ヒロカズ、起きちゃったかな。寝てるふりしなきゃ。
そんなことを思ったが涙は止まらない。何も言うことはできなかった。
もしかして泣いてることに気づいてるんだろうか。
勘のいいヒロカズだから、きっと分かってるんだろうな。

ヒロカズはよく和子の頭を撫でてくれる。いつもそのタッチは絶妙だ。いつも優しく、甘く、心地よい。
和子はいつもそれで満ち足りた気持ちになる。
そして今、ヒロカズの手は、一生懸命和子の涙を止めようと頭を撫でてくれているように思えた。
そのまま10分以上、和子の静かな嗚咽は続き、ずっとヒロカズが頭を撫でていた。
ひとしきり泣き終えた頃、ヒロカズの手が止まった。

和子が何か言おうとしたその時、先に口を開いたのはヒロカズだった。

「好き、だよ。」

「えっ?」
思わず和子は声を出した。
好きだよ、確かにそう聞こえた。
しかしヒロカズは何も答えず、黙ったまま和子の体をぎゅっと抱きしめた。ゆっくり、強く、でも、優しく。
ずっとそのまま、二人は無言で密着していた。背中にくっついたヒロカズの温かい胸の感触がいつも通りの確かさで心地よかった。
突然の、好きだよ。
こんなに近くにいても、ヒロカズは今までそんな事を一度も言わなかった。冗談でも聞いた事はない。
だから、和子は、お互い恋愛感情なんてない関係だと思っていた。
好きだよ。
その言葉、たしかに聞いた。

長い沈黙の後、和子は呼びかけた。
「ヒロ君。」
返事はなく、寝息が聞こえてきた。いつものヒロカズのリズミカルな寝息だ。
ヒロカズ、寝ちゃったのか。
もう確かめようがない。
好きと言われたのに、戸惑ってしまうなんて。どうしてなんだろう。
自分はヒロカズのことをどう思っているんだろう。
好きか嫌いかと言われれば好きで、だからずっと一緒にいるのだけれど。
でも、多分この好きという気持ちは恋愛感情ではないのだ。
ヒロカズの言った「好き」は、どんな意味の「好き」なんだろう。
どれだけ近くにいても、何度も体を重ねても、分からないことは分からない。
でも思えば、いつもヒロカズは和子を優しく満たしてくれていた。いびつな関係のはずなのに二年以上も続いているのは、その心地よさがあったからだ。

ヒロカズが起きたら、確かめてみようかな。
でもそんな事をしたら、この関係は終わってしまうのではないか。

そう、今まで通りがいい。

「和子さん
明太子、ありがとうございました。教えてもらった通り玉子焼きに入れてみました。
うまくいきました!」

昼休みになった瞬間に、長谷川からのメールが来た。
朝から顔を合わせていたが、和子は昼休みが待ち遠しくて仕方なかった。
お昼になれば長谷川さんとメールできる。
まるでその和子の気持ちを見抜いているかのような早いタイミングだった。

「長谷川さん
喜んで頂けて嬉しいです。
玉子焼き、うまくいったんですね。よかったです。
保冷剤足りてましたか?」

「和子さん
おいしかったです。
うちのも喜んでました、いいメニュー教えていただいて、ありがとうございます。
保冷剤は大丈夫でした!
しかし、すっかり暖かくなりましたね。またお時間ありましたら、相模川行きましょう。」

うちのも喜んでました。か。
当たり前のように奥さんのことが出て来て、その文字列を見た瞬間に和子の頭はクラッとした。
そう、そうなんだ、いくら自分が長谷川さんを好きでも、長谷川さんには奥さんがいるんだ。
大切な奥さんが。

メールが嬉しくて少し浮かれていた和子の気分が、いきなり落ちていった。
どんなに好きでも、長谷川さんは奥さんのものなんだ。二日間ずっと考えていたことがまた頭をめぐる。
じゃあ自分は誰のものなんだろう。誰のものでもないつもりだった。
ヒロカズなのかな。
ヒロカズ、どうして好きって言ったんだろう。

「長谷川さん
またお誘いいただければ、ぜひ。
そういえばお弁当リクエストされてましたね。」

「和子さん
そうでした!
是非お願いします。」

どうしよう。
そんなこと言われたら喜んで気合いれて作っちゃうに決まっている。
そして食べてもらったら、もっと好きになっちゃうに決まってる。
断ってしまったほうがいいんじゃないのかな。
それでも和子の指は勝手に返事を書いていた。

「長谷川さん
食べていただけるの、楽しみです。」

いつもはヒロカズが食べてくれている。だから、いつもヒロカズのために料理している。
今回が特別なわけじゃない。
そう、特別なわけじゃないんだ。

「和子さん
また、手をつないでもいいですか?」

和子は息を呑んだ。
そしてゆっくりと返事を書いた。

「長谷川さん
いいですよ。
よろしくお願いします。」

「和子さん
ありがとうございます。
嬉しいです。」

和子は長い深呼吸をした。
どうしてだろう、頭ではダメだと思っているのに、指が勝手に次の文章を書いて送ってしまう。
戸惑いながらも嬉しくなっている自分がそこにいた。
また、長谷川さんに、手をつないでもらえるんだ。あの大きくて優しい手にまた触れることができる。
二つの思いが交錯している中、また、ふと、思い出す。
長谷川さんには奥さんがいるんだ。
勝手に好きになっただけなのに、なんで期待してるんだろう。
何をやってるんだ、自分。
ほんの10秒あまりの一喜一憂。
そしてまたメールがきた。

「和子さん
そういえば、土曜日の焼酎、なかなか明太子に合ってました。
和子さんも飲みました?」

「長谷川さん
飲みました。
芋焼酎、明太子に合うんですね。いつもあの組み合わせを楽しめる九州の方々が羨ましいです(笑)」

和子は、突然またヒロカズのことを思い出していた。
確かにそれは、おいしい焼酎で明太子料理によくあっていた。
それを飲んでいたヒロカズは良い笑顔で、饒舌で、その後朝まで絶妙なセックスをしてくれた。
そして、泣いている和子の頭をずっと撫でて、突然の好きだよ。
ひとしきり寝て起きてからのヒロカズは、何もなかったかのようないつもの優しいヒロカズで、結局その「好き」の真意について和子は確かめることができなかった。
家に来た瞬間から和子の変化に気づいていたあの日のヒロカズ。
もしかして、すべてを分かってくれていたのかな。
そうじゃないと今更、好きだなんて、言えるわけがない。
好きだとしても、いつからなんだろう。
もし始めからそうだったら、二人は、普通の恋人同士で、いびつな関係ではなかったことになる。
自分はヒロカズのことをどう思っているんだろう。よくわからない。
ただ、大切な存在であることは確かだ。一緒にいると何よりも誰よりも安心できる。優しいキスも、丁寧なセックスも、毎日歯を磨くことと同じように和子の生活の一部で、もはやそれが無い自分は考えられない。

「和子さん
九州、結構出張されてたんですよね?
自分は行ったことないのでうらやましいです!」

「長谷川さん
出張してもいつもバタバタしてて、なかなかじっくり現地の味を楽しめませんでした。
せっかく全国あちこち行けたのに、もったいないです。
慌ててお土産買うので、各地のお土産売り場だけには詳しくなりました(笑)」

「和子さん
なるほど、お土産、明太子も絶品でした。
もし自分が旅行とか出張に行くことあったら、教えてくださいね。」

旅行、か。
奥さんと行くのかな。
また和子の心が揺らぎ始めた。
何やってるんだ。もう。
ほんの文章の端々に動揺して、落ち込んで、喜んで。
ほんの30分あまりの間に感情が、動いて動いて消耗していく。

人を好きになるって、こういうことなのか。

和子は、不思議と仕事中に長谷川と接している時は気持ちが封印できていた。
仕事中も長い時間一緒にいるのに、昼休みのメールの時だけ、一喜一憂が激しい。
こんなに疲れるものだったんだ、誰かを好きになるっていうことは。
もう35歳にもなったというのに、決してうまくいかない、はじめから許されない片思いをするなんて。冷静に考えなくても虚しい。
それでも、薄暗い昼休みのオフィスで、ディスプレイの明かりに照らされる端正な長谷川の顔が目にはいると、心の疲れは一瞬で消え去ってしまう。
かっこいい。

長谷川さんが、好き。
大好き。

そうやって心が落ち着かないまま迎えた水曜日の帰り道、珍しくヒロカズからメールが来た。

『明日、行っていい?』

あれ、明日は木曜日なのに。
土日以外にヒロカズに会うなんて本当に珍しい。

『いいよ。何かあった?』

『アジ貰ったから持ってく』

アジ?貰った?
和子はくすっと笑った。ヒロカズ、何を言ってるんだろう。

『アジって魚の?』

『うん。シマアジ』

シマアジ?そんな高級魚どうやって手にいれたんだろう。
処理が難しいんじゃないのかな。

『えっ、さばけるかな?』

『さばいてあるやつだよ。』

『よかった。メニュー考えとくね。』

明日はヒロカズに会える。何となくほっとした。まだ水曜日だったが、ヒロカズの優しさが欲しくなっていたのだった。
シマアジのレシピを調べようとしたら、またヒロカズからメールが来た。

『早く、会いたいです。』

和子の心臓がぎゅっと縮まる音がした。
会いたい。
ヒロカズが会いたいと言っている。
こんな事今まであったのかな。一度もなかったはず。
なんとなく切羽詰まった文面に、少しだけ呼吸が苦しくなった。
こんな事、誰かに言われたことすらなかった。
会わなきゃ。ヒロカズに会わなきゃ。

和子はゆっくりと返事を書いた。

『今日、来てもいいよ。まだ小田急だけど。』

『座間まで迎えに行く。』

ヒロカズ、何かあったのかな。
なにしろ初めてのことなので少しヒロカズが心配だった。
と、同時に突然言われた「好きだよ」を思い出していた。
好きだよ。
早く会いたい。
まるで恋人同士の言葉。今まで言われたことがなかった。

ヒロカズはどんな気持ちなんだろう。

座間の改札でヒロカズが待っていた。

「おかえり。」

「ただいま。」

ヒロカズはにっこり笑って、和子の頭をポンポンと撫でた。
ちょっと恥ずかしかったが、いつものヒロカズの手が、優しさが、心地よかった。

「行こっか」
「うん。」

二人は、手を繋いで歩き出した。

つづく
スポンサーサイト

テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

kazko

Author:kazko
Facebook,メルマガで連載している小説をまとめています。
詳しくは
http://kutsushita.in/
へ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。