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連載小説「相模川恋唄」21-25

連載小説「相模川恋唄」21-25

四月も終わりに近づき、だいぶ暖かくなっていた。
土曜日11時半の海老名駅、二度目の改札での待ち合わせ。和子はまた10分前にそこにいた。

お土産の明太子の包みには保冷剤を入れまくっていたので夕方まで問題なさそうだった。ただし、少し、重い。
もう少し減らしてもよかったかもしれない、と思いを巡らせていたら、長谷川が横からやってきた。
いつものようにまぶしい笑顔だ。

また、海老名で、会えた。
和子の胸がそわそわした。

「おはようございます」
「おはようございます、あの、これ、明太子です。すいません保冷剤入れ過ぎて、ちょっと重いです。」
そう言って袋を手渡した瞬間、長谷川の指先が和子の手に少し触れた。

あっ、

和子は、一気に心臓の鼓動が高鳴るのを感じていた。
悟られないようにゆっくり呼吸を整える。
「わ、ありがとうございます。楽しみです。明太子好きなんですよ、夫婦揃って。お礼にあとでお酒ご馳走しますね。」
「いやいや、いいですよそんな。で、それより消費期限、明日なんで気をつけてください。」
「早速今夜いただきます、メニューどうしようかな、和子さんならどうしますか?」
「そうですね、そのままご飯に乗せるのが一番好きですけど、よくやるのは玉子焼きに入れたりとか。」
「玉子焼き!おいしそうですね、あとでコツ教えてください。」
二人は歩き始めた。
駅の階段を降りながら会話が続いていく。
「はい。でも実はコツも何もないんですけど。あと普通にパスタとかピザとかでもいけると思いますよ。」
「なるほど!あー、でもこれからイタリアンか。」
「いいじゃないですか、昼も夜もイタリアン。」
長谷川さん、当たり前のように奥さんの為に料理をがんばって作ってる。
結婚って、そういう事なのかな。でも旦那さんが料理しない夫婦とかもいるはずだ。
やっぱり素敵だな。奥さん、愛されてるんだな。
それに比べて自分は。
料理はするけれど、彼氏ではないヒロカズの為に。喜んで食べてくれるけど、彼氏ではない。何度体を重ねても、いびつな関係でしかない。

長谷川の見つけたイタリアンの店は、駅から徒歩五分くらいの裏通りにあった。
テーブルが四つにカウンター席がいくつか。
12時前だったが既にテーブルは三つ埋まっていた。

「長谷川さん、いい店ご存知ですね。」
「毎週散歩してると発見が多いんですよ。ここもずっと気になってて。」
昔ながらの洋食屋っぽさを残して洗練されすぎていない店内の落ち着いた雰囲気。
店長おすすめのライスコロッケもパスタも絶妙な味で、食事中、二人は自然と笑顔になっていた。

「和子さん、このあと少し時間ありますか?」
「はい。暇です。」
「食後の散歩しませんか。相模川まで。」
相模川、か。
和子は少し想像した。
長谷川さんと歩く春の川岸。
暖かいし、気持ちいいだろうな。
「いいですよ。」
和子が答えると、長谷川は満面の笑みで喜んだ。
「よかった、嬉しいです。途中で缶ビール買っていきましょう。」
「川を見ながらビールですか。」
「もう、最高ですよ。」
「よく飲んでるんですか?」
「春と秋は結構。冬はさすがに無理です。」
「え、夏は?」
「夏はビールもすぐ温くなっちゃうんであんまり。でも猛暑の日も橋の上なんかは、風が吹いてて涼しかったりして。」
会社では決して見た事のない、長谷川の子供のようなキラキラした笑顔。
和子はすっかり魅了されていた。
長谷川さん、ほんとに相模川が、お気に入りなんだなぁ。
そこに連れていってもらえる事が何より嬉しかった。

長谷川は、相模川までの道をよく知っており、何ルートもオススメがあると言っていた。
線路沿いに行くのかと思っていたがそうではなく、大きな道路を横切り田園地帯を抜け相模川まで。
そう遠くなく20分も歩かなかった。

相模川。
山梨から流れてくるその川は、厚木のあたりでは大きな川幅の中をかなり緩やかに流れていく。
たまに電車から見る程度だった和子にとって、すぐ近くまできたのはもちろん初めてだ。
思わず声が出るほどそれは美しかった。
空の青と太陽が川に反射し、どこまでも広く長くキラキラと光り続けている。
「すごいですね。綺麗。ここまで来たの、初めてです。」
「ほんとに初めて?」
「はい、もったいなかったですね近所なのに。長谷川さんが毎週来るの、分かります。」
和子は目の前の景色に少なからず興奮していた。
こんなに綺麗な川だったんだ。長谷川さんは毎日、電車からここを見て会社に来てるんだ。
そして、今は自分と一緒に、そこにいる。

この川の向こうの本厚木、長谷川さんはそこに住んでいるんだ。
和子は、近いようで遠い対岸を見ながら思った。
長谷川さんは、今はここにいるけど、こうやって同じ景色を見ているけど、川の向こうの人なんだ。そこには帰る家があって、愛する奥さんが待っている。
私には、待っていてくれる人は、いない。
和子の胸がチクリと痛んだが、それをごまかすように缶ビールを開けた。

二人はビールを飲みながらしばらく川沿いを歩いた。
ちょうど、最初の缶が空っぽになった時、和子の右手に温かいものが触れた。

長谷川の左手だった。

「手、つないでいいですか?」
「えっ、あっ、はい、えっ」
和子は何が起きたかわからず、完全に混乱していた。
咄嗟に手を引こうとしたが、既に長谷川の大きな手が、しっかりと和子の手を包んでいた。
何で?何で?
「ありがとう。」
長谷川が言ったが、和子は恥ずかしくて顔を見ることができなかった。
腕全体に緊張が走る。
しかし、心の奥底で嬉しさを感じている自分がいた。

長谷川さんの、手だ。

忘れられなかった優しい大きな手。ビールの缶で冷えているかと思いきや、それは今日もあたたかかった。
その確かな感触。和子も、ゆっくりと手を握り返した。
しばらく二人は無言だったが、歩くにつれて少しづつ和子の緊張も溶けてきた。
「長谷川さん、もう、何やってるんですか。」
和子は冗談っぽく言って長谷川を見上げた。
それが精一杯だった。
「和子さんの手、カワイイから。つなぎたくなっちゃって。」
長谷川は笑顔で答え、繋いだ手をぎゅっと握る。
和子は、恥ずかしさと嬉しさでいっぱいになり、慌てて視線を外した。

手がカワイイ。

長谷川に言われるのは何度目だろう。これまで誰にも言われたことなかったのに。どうしてだろう。35歳にもなって初めて言われたその一言が、本当に嬉しかった。
こんな荒れた手をカワイイって褒めてくれるなんて。
心臓が高鳴り、耳の先までドクンドクンと脈打っているのを感じていた。
いま、長谷川さんと、手をつないで歩いている。
これは現実なんだ。

「ちょっと座ります?」
ちょうど、ベンチのあたりで長谷川は立ち止まった。
「あ、はい」
和子はまだ、長谷川の目を見ることができなかった。
「ここの景色、なかなかすごいですよ。」
二人は手をつないだまま、ベンチに腰を下ろした。
目の前に広がるキラキラとした相模川。青く、ゆるやかに美しい。
そして遠くに見える陸橋では小田急が走っている。
「ほんと、いいですね。」
「いつも、ここで座ってビール飲むんです。ぼんやりこの景色見てると、落ち着くんです。」
和子は恐る恐る長谷川を見上げた。長谷川は真剣な顔で川を眺めている。
かっこいいなぁ。
思わず見惚れてしまう、その端正な横顔に和子の胃のあたりがきゅっと縮んで痛くなった。
美しい川を見る、美しい長谷川の横顔。
いつまでも見ていたい気になったが、慌てて視線を川に戻した。
キラキラ光る川面、時折魚が跳ねている。
「なんか、いろいろ辛い事とか忘れられそうですね。」
和子はゆっくりと言った。
長谷川はそれに対して何も言わず、ゆっくりと手をきゅっと握った。
長谷川の手の暖かさ。
大きな優しい手。
和子の手もすっかり馴染んで、二つの手は溶け合うようにくっついていた。

私、長谷川さんのこと、好きなのかもしれない。

和子の頭に、ふとそんな事が浮かんだ。
いや、そんなはずはない。
好きになるはずなんてない。
長谷川さんは会社の上司だし、奥さんもいるんだし。
和子は、頭の中で一生懸命打ち消していた。
誰かを好きになる感覚なんて、長年味わってなかったんだから、こんなはずじゃ、ないんだ。

「相模川、気に入って頂けましたか?」
長谷川が言った。
「はい、もちろん。」
「よかった。」
長谷川は嬉しそうな笑顔を和子に向け、二人の目が合った。
和子は、そのまっすぐな視線に吸い込まれそうになった。
そして、思いもよらず、勝手に口が動いた。

「また、一緒に、来たいです。」

あっ、何を言ってしまったんだ私。和子は慌てて取り消そうとしたが、長谷川の答えのほうが早かった。
「僕もです。」
そう言うとまた、長谷川はにっこりと笑った。
和子もつられて笑顔になった。

好きだ。
長谷川さんが、好きだ。

抑えられない気持ちが体の中に溢れている。
それは35歳の和子にとって初めての感覚だった。触れ合っている手のひらから、全身が溶けていってしまいそうなくらい、長谷川の存在が、大きかった。
思えばそうだった。偶然会いたくて海老名では長谷川の姿を探し、お昼休みの長谷川とのメールは会社での唯一の楽しみ、旅行中も長谷川のことが頭から離れなかった。
和子はずっとずっと、長谷川に惹かれていたのだ。
もう、とっくに好きだった。
とっくに大好きだった。
それはどんなに否定しようとしても、もう無理だった。
長谷川さんが、好きだ。
でも、好きになってはいけないんだ。気持ちを伝えることすら、してはいけないんだ。
諦めなくちゃいけないんだ。
長谷川さんには家庭がある。
そう、この川の向こうに。
和子の心に、途端に悲しみがあふれてきた。

「やっぱり、カワイイなぁ、和子さんの手。」
長谷川はそういうと、手を繋ぎ直した。
今度は指と指を互いに絡ませ、さっきよりも密着する繋ぎ方だった。
和子の全ての指の間に長谷川の指が入り込む。そして、大きく包み込む。その感触に息が止まりそうになった。
長谷川さんの手。大きな手のひら。大好きな長谷川さんの、優しい手のひら。今は、私だけがそれに触れている。
和子はゆっくりと手を握り返した。
手を何度もカワイイって褒めてくれて、こうして包み込んでくれて、こんなに近くにいて。
今、こうしていられるだけで、それでいいんだ。
もうこの気持ちは忘れよう。

和子は必死に頭で考え、泣いてしまいそうなほど悲しい気持ちになった。
好きになってはいけないのに、好きになってしまった。
好きになったのに、諦めなくちゃいけないんだ。
長谷川さんは川の向こうの家庭に戻るんだ、この手を離さなきゃいけないんだ。

和子がそんな気持ちになったことに気づいたのかそうではないのか、長谷川はゆっくりと右手を差し出し、繋いだ手の上から更に和子の手を包んだ。
「こんなにカワイイ手で、料理するんですね。」
包み込む両手があまりにも大きく、温かく、そして優しく、和子は泣いてしまいそうだった。
もう、この手を独り占めすることなんか、ないんだろうか。ないんだろう。
こんなに長谷川さんの手のひら、優しいのに。
いけない、何か言わないと泣いてしまう。
和子は慌てて声を出した。
「あ、いや、あの、その、手が小さいので、カボチャとか切るとき、押さえづらいです」
「カボチャですか!」
「カボチャです!」
和子は無理やり元気な声で答えた。
あまりに突然元気よく答えたからか、長谷川は笑い出し、和子もほっとしながら笑った。
「和子さんの料理、食べてみたいなあ。」
長谷川の言葉に、また和子の口が勝手に動いていた。

「じゃあ今度、お弁当作ってくるんで、ここで食べましょうか?」

えっ。
何言ってるんだ、私。
「それいいですね、ぜひお願いしたいです。」
長谷川は嬉しそうだった。
もう、今更取り消せない。
「いいですよ。」
ああ、なんてことを言ってしまったんだ。
会ったりしたら、また今みたいに、つらくなるのに。会ったらもっと好きになっちゃうんだから、もう会わないほうがいいのに。
でも、それでも会いたいんだ、ここで、長谷川さんに。それでも、会いたい。
「嬉しいなぁ。約束、ですよ。」
長谷川は、そう言いながら繋いだ手をそっと持ち上げた。
そして、突然和子の手の甲に、柔らかいものが触れた。
長谷川の唇だった。
長谷川は、和子の手の甲にそっとキスをして、そして和子の目をじっと見た。

えっ。
なんで?
和子の全身が硬直した。

あまりに突然すぎて、和子は何も言えずにただただ長谷川を見つめていた。
「いきなりすいません。カワイイから、つい。」
長谷川はそういうと、和子の手を両手で包んだ。
それはどこまでも優しく、大きく、温かく心地かったが和子の動揺はなかなかおさまらなかった。
「あの、あの、長谷川さん」
和子の口が勝手に動き出した。

「もう一回お願いします。」

ダメ、何言ってるんだ自分。

「いいですよ。」
長谷川はそういうと、目を閉じて深呼吸をした。
「なんだか緊張してきました。」
小さい声でそう言いながら、和子の手をそっと持ち上げる。ひとつひとつの感触の柔らかさ。
愛おしそうに少し微笑み、でも目は真剣、そんな長谷川の横顔に、和子の息が止まった。
なんて素敵なんだろう。
「いいですか?」
長谷川が言った。
「はい。」
和子の答えを待ってから、長谷川は和子の手に再び口づけをした。
柔らかく、優しいキスだった。
和子は全身に電流で打たれたような衝撃がゆっくりと走り、少し震えた。
好きだ。
好きなんだ。
そして同時に、虚しさにも似た切なさが襲ってきた。
好きになっちゃ、いけないんだ。
「ありがとうございます。」
和子は、ようやくそう言って、視線を川に戻した。
悲しくて泣きそうだったが、それでも、嬉しかった。大好きな長谷川さんが、何度も手をカワイイって言ってくれて、その手を大切に扱ってくれて。
ずっと覚えていよう。優しい大きな手のこと、愛おしそうに手を取ってくれた横顔のこと、繊細なキスのこと。頭では忘れてもずっと手が覚えているはずだ。
覚えているだけなら、許されるはずだ。

相模川は、相変わらず綺麗に光っていた。

その後二人は海老名に歩いて戻り、いつもの酒屋で焼酎を買って帰宅した。
何事もなかったかのように普通に会話しながら、それでも海老名までの道のりは、しっかりと手を繋いでいた。

帰宅して料理を始めても、和子の心は長谷川のことを考えてしまい、ずっとヒリヒリとしていた。

すっかり日が暮れた夜8時、ヒロカズがやってきた。

つづく
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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

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詳しくは
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